吾輩は蔦屋書店でくすりと笑ったのである。
いや面白い。面白いよ。久しぶりに文章を読んで笑わしてもらった。
目を引いたのは、「文学修行の今昔」というタイトルだ。
吾輩は小説家になりたい。だから小説家になるヒントはいくらでも欲しいし、携帯に小説家と打ち込むと「小説家 インタビュー」「小説家 なりたい」「小説家 インタビュー 新人賞」とかでてくるよ。
それでまぁ、タイトルにひかれてすばる12月号の対談を読んだのだが、とにかく佐藤愛子氏が面白かった。
まぁ「文学修行の今昔」と銘打っていながら、デビューするためにどのような文学修行をするべきなのかはあまり書かれていない。今にも通じるアドバイスは、とにかく佐藤氏は海外、国内とはず古典の名作を読み漁ったというところだろうか。やはり古典に学ぶことは多いみたいだ。
あとは、佐藤氏の生まれ育った時代の文学の事情を読んでいると、今のYoutuberみたいなのが、そのまま昔の作家なのだなぁと思った。
要するに、世間からしっかりとした仕事と認識されて日が浅いが、成功者は金をもっていて、それになりたい若者が後を絶たないような業界。それが日本の文学界だったみたいだ。最近はもうすっかりではあるが。
対談の話に戻るが、この佐藤氏という人物、そうとう曲者である。
「自分は被害者意識は理解できない。たぶん、いつも加害者だからだ」という趣旨のことを嫌味もなくからっと言ってのける。
また原稿用紙を天ぷらを揚げた油とり紙にしているというのは笑った。
佐藤氏と村上春樹の共通点も見つけられた。両者とも、手紙で人を喜ばせていたという点だ。佐藤氏の場合は実の父を。村上春樹の場合はのちに奥さんとなる女性を。
やはりプロの作家になる人は、もとから文章を書くセンスみたいなものがあるのだろうか……
まぁそれでも佐藤氏はずいぶんと目が出ない。文章かいていても一銭にもなっていない期間が長かったというから、吾輩も気長にあと二年くらいは続ける予定だ。
あと佐藤氏は、太宰治の初期の文学作品についても言及していた。なんでも佐藤氏も井伏鱒二にはまり、井伏鱒二の弟子であった太宰治の初期作品をかたっぱしから読んでいたという。
そのときに、太宰治が井伏鱒二の文体を模写した小説が出てきて、これがひどい出来だったそうだ。
太宰も初期作品はひどかったと聞くと、なんだか心和まされる。まだ吾輩は書いていてもいいのではないかと。
脱線しかしていないが、『すばる12月号』、は綿矢氏と佐藤氏の対談が面白いよ。