吾輩はかつてボクサーだったのである。今日は、ボクシングととことん向き合う男を描いた『1R3分34秒』について書こうと思う。
『1R3分34秒』
第160回、平成30年/2018年下半期の芥川賞は上田岳弘の『ニムロッド』と町屋良平の『1R3分34秒』が受賞した。
今回は、そのうちの町屋良平の『1R3分34秒』について解説、ネタバレしていきたい。
1.作者について
作者の町屋良平であるが、吾輩はデビュー当時から追いかけていたのである。
彼のデビュー作は『青が破れる』という小説で、この小説もまた主人公はボクサーであった。
ボクサーであったがしかし、今回の芥川賞受賞作とは違い、『青が破れる』はどちらかというとボクサーの周辺の、主人公の周りの人々の出会いと別れを淡くしかし鮮烈にという矛盾した表現がぴったりなように描いた作品であった。
『青が破れる』のキャラクターはだれであれ哀愁というものがあった。それぞれのキャラクターが、吾輩の胸の中で泣いて、笑って、苦しんで、死んでいったよ。
『青が破れる』、お勧めだ。すぐ読めるし。
多分、今回のボクシングに打ち込む男を詳細に描いた『1R3分34秒』よりも『青が破れる』の方が映像化には適しているんだろうなぁ、映画化とか。動きがあるから。
2.作品について
前作『青が破れる』がプロボクサーになりたい男の周辺を描いた作品なら、果たして今回は、プロボクサーのことを、これでもかとド直球に描いた作品であった。
主人公の「ぼく」はデビュー初戦こそ華々しくKOで飾ったものの、二敗一分と負けが込んでいるボクサー。世界タイトルを狙うのではなく、そもそも狙えそうでもなく、それでも日々の暮らしの中でボクシングに打ち込む様子が描かれている。
吾輩はボクシングの経験があるから特に面白く読んだが、普通の読者諸君はどうなんだろうなぁ。人生で一回ぐらい、顔面にパンチが飛んでくる恐怖と向き合うという経験はしてもいいだろう。まぁしなくてもいいか。
吾輩が思うにボクシングは報われないスポーツである。練習はきついし、減量はしんどいし、それに試合は痛い。そう痛いのである。顔面に当たるパンチは痛い。そうでなくても痛いし怖い。人と向き合って殴り合おうという、きわめて前時代的なスポーツに、iphone、ようつべ時代に打ち込むボクサーが描かれているよ。大変に面白いよ。
3.ネタバレ
「ぼく」はデビュー初戦こそ華々しくKOで飾ったものの、二敗一分と負けが込んでいるボクサーだ。試合前には必ず対戦相手のビデオを入念に研究するが、その対戦相手と夢の中で仲良くなってしまう。今度試合のある青志くんというボクサーとも、夢の中で仲良くなった。
ぼくはボクシングジムに無料体験にきた女の子のフードに紙を入れて、彼女とセフレの関係になる。そして試合の後、バイト先の人たちに切れてこぶしをふるってしまい、くびになる。
青志くんとの試合に敗れたぼくは、トレーナーに見放されて、代わりにウメキチという元ボクサーが面倒見てくれるようになる。ウメキチのことを鬱陶しい、と感じる僕だが指示には素直に従ってみようかと思い始める。
ぼくはよく、ある友だちと出かける。その友だちは大学生なのに、大学にもいかず、映画を見るかiphoneで動画を撮影して、編集している。よくぼくのことも撮る。かれしか友だちのいないぼくは、かれによく美術展に連れていかれる。
ウメキチは親身になって、弁当をぼくにくれる。でもぼくは面倒で公園に捨て、セフレに連絡すると、……ゴメーン。彼氏が来ているから。
ウメキチの指示に従って、スパーをして負けたり、勝ったり。ウメキチと一緒にトレーニングをすることもある。
そんな中、次の試合が決まる。バイトを首になったぼくに試合が決まることはうれしいことだった。
減量が始まる。ぼくは友だちに、友だちが今まで撮った、ぼくの映像をつかった映画を見せて、と言う。友だちの映画は意外にちゃんとしていた。
試合前、減量中にもう一度スパーリングが組まれる。その出稽古でぼくはダウンを取られて負けてしまう。ウメキチにマッサージされる中、ぼくは泣いてしまった。でも、泣くのも悪くなかった。気持ちがすっきりしたから。
試合の三日前、減量の不安もある中ぼくは、ウメキチにメッセージを送る。いつくかの暴言を送った後で、
…… ごめん、ありがとう。
とも送る。試合まで、この夜をあと二回。
(終わり)
4.まとめ
吾輩は個人的に、その先の試合まで描いてほしかった。ウメキチと組んだ初めての試合がどういう結末に終わるのか、そしてその試合が二人の人間関係にどういう影響を及ぼすのか描いてほしかった。
しかしながら、それがなくても芥川賞をとれたのは、町屋良平氏のボクサーの詳細な描写が、気持ちの揺れ動きが、町屋良平の作り上げた世界、キャラクターが読んでいる者の胸に住み着いて、彼らが愛おしくなるからだろうか。
町屋良平氏の筆力を、ぜひ読者諸君にも体験していただきたい。