群像新人賞に送るための小説を書き終えました。
読み返してみて思うのですが、新人賞を受賞するレベルの作品ってどうやってかけばいいのですかね。。。
五大文芸誌の新人賞をそれぞれ読んでみて、なんとなくレベル感もつかんでいる気がしますが、やはり「知っている」と「できる」がイコールで結ばれないのが難しいところで。。。
今年に入って100枚以上の中編はこれで8作目になりますが、いまだに満足のいく作品は一つも残せていないのが現状です。。。
まぁでもすばる文学賞『犬のかたちをしているもの』の高瀬さんは一年に一作を十年続けていたそうなので、私も三十ごろまでほそぼそ続けてやめようかなと思います……
さて、群像の応募原稿を執筆中はフランソワーズ・サガンの『悲しみよ こんにちは』を読んでいました。サガンはこれを18の時に書いたということで、まさに天才ですね。
ここからはネタバレになりますが、これは本当にネタバレをしないで読むのがおもしろいので、少しでも読む気があるならネタバレを読むのはおすすめしません(笑)
前半は少々退屈な展開ですが、後半に入りそれを巻き返すような、急加速する展開は実に面白い。
特に冒頭とラストの文章は、とても十八の子が書いたとは思えないほどです。ふつくしい。。。
いか、ネタバレでありんす……
『悲しみよ こんにちは』
〈一分でわかるネタバレ〉
私(セシル)は父と二人で暮らしていて、夏には海の近くの別荘を借りて暮らしている。父はモテ男であり、女たらし。エルザという女性と一緒になっていたが、ある日アンヌという女性を連れてくる。私はシリルという大学生と会った。恋に落ちる。
父はアンヌと結婚しようとするが、私は面白くない。私に勉強しろといったり、シリルのことで口を出されるから。私はある計画を思いつく。シリルとエルザが一緒にいるところを父に見せて、父がエルザの元へ戻っていくように扇動するのだ。結果そうなる。
そうなったときに、アンヌは激しく動揺し、泣き、そのアンヌの顔を見て、初めて私は生身の人間を傷つけてしまったのだと悟る。
そしてアンヌは事故とも自殺ともとれる死に方をする。 FIN
〈冒頭〉
ものうさと甘さが付きまとって離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しい、りっぱな名をつけようか、私は迷う。その感情はあまりにも自分のことだけにかまけ、利己主義な感情であり、私はそれをほとんど恥じている。ところが、悲しみはいつも高尚なもののように思われていたのだから。私はこれまで悲しみというものを知らなかった。けれども、ものうさ、悔恨、そして稀には良心の呵責もしっていた。今は、絹のようにいらだたしく、やわらかい何かが私に蔽いかぶさって、私をほかの人たちから離れさせる。
その夏、私は十七だった。そして私はまったく幸福だった。
〈ラスト〉
ただ私がベッドの中にいるとき、自動車の音だけがしているパリの明け方、私の記憶が時々わたしを裏切る。夏がまたやってくる。その思い出とともに。アンヌ、アンヌ! 私はこの名前を低い声で、長いこと暗やみの中で繰り返す。すると何かが私の内に湧きあがえり、私はそれを目を瞑ったままその名前で迎える。悲しみよ、こんにちは。