金髪の妻夫木聡が話題になった『悪人』や『怒り』といった映画の原作で知られる吉田修一のデビュー作にして芥川賞候補作の『最後の息子』
テーマは同性愛だが、現代の同性愛を生々しく、それでいてどこか爽やかに描いている。
同性愛のというテーマは吉田修一の作品には多くみられるテーマではあるが、そのどれもがリアリティに満ちているため、「吉田修一は実際に同性愛者なのでは?」と言ったうわさもある。
それほど同性愛の心理描写がうまいということだと思う。
≪あらすじ≫※ネタばれ含みます。
主人公のぼくが、ビデオを見直すところからシーンが始まる。
ぼくはオカマの閻魔ちゃん(本名は岩倉雅人)のもとでヒモをしている。閻魔ちゃんは二丁目でゲイバーを何軒も経営している、やり手のオカマだ。
この夏、大統領という名前の同性愛者が死んだ。
オカマ狩り、と称する奴らに殴り殺されたのだった。
ぼくはひたすらビデオを回す。大統領が死んでも尚、ビデオを回す。大統領が死んで、20日もたてば、何もなかったかのように生活は続いていく様子も収められている。
ぼくは生産性のあることに従事するわけでもなく、たまの正月に実家の長崎に帰ると、仕事をしているという嘘をすぐに見破られ、近所の子供たちのためのお年玉を親にもらい、そのお年玉から千円札を抜いて渡すような人間だ。
実家に帰った際も、母親に、荷物の中の丁寧に畳まれたシャツから恋人の存在を疑われるが、まさかオカマと暮らしているともぼくは言えるはずもない。
そんな閻魔ちゃんとの自堕落で気楽な日々の中で、ぼくは元恋人である佐和子から連絡を受ける。
彼女は「もうすぐ結婚するの」だという。
「男を頼って生きていれば、女の気持ちもわかってくる」
ぼくは佐和子と会って、彼女の結婚までの日々をタンゴに通ったり、セックスをしたりして過ごす。
そんな中、長崎の実家の母親が、家出をして東京に来ているのだという。
恋人に会いたいというので、ぼくは慌てて閻魔ちゃんの代わりに佐和子に連絡をとり
恋人のふりをしてくれと頼む。
こうしてぼくと元カノで結婚が決まっている佐和子、そしてぼくの母三人の食事が始まる。
食事の終わり際に、母は「笑わないでね……どうしてもオカマにあってみたいのよ」と言う。
ぼくは閻魔ちゃんに電話をかける。ぼくたちの食事に来てくれと。
しかしいくら待っても閻魔ちゃんは来ず、その食事は解散になった。
ぼくが家に帰ると、閻魔ちゃんのメモが置いてあった。
そこには
「(前略)アンタの家が何代続いた旧家だか知らないけど、私はごめんだわ、アンタをアンタの家の最後の息子にする権利も、責任も持てないわ」
とあった。
FIN
と、こうして書いてみましたが、あらすじを書くことで拾えることよりも、そこからこぼれるところが多い小説です。
たまに来るハッとする台詞、愛嬌を持たせる登場人物の描写、テンポのよい文章は、吉田修一の特徴ですが、デビュー作にして彼の才覚を感じさせます。
ぜひ、一度読んで吉田修一の才能を感じて欲しい。
以下、『最後の息子』の中のお気に入りの台詞。
愛されようとするのは、救いようのない悪気だと思う。p48
「俺がエンストした車だとしたら、彼女はブレーキが壊れた車だったんだよ」そう説明してやると、
「止まらない車よりは、動かない車の方が安心して乗れるわ」と閻魔ちゃんは笑っていた。p37
自分たちを一番馬鹿にしているのが、自分たちなのだ。p55
「あら、矛盾してるから、オカマなのよ」p57
彼女はもう、夏休みの宿題を全部終わらしてしまった子供のようだったし、ぼくはぼくで二学期から学校に行く気なんてさらさらなかった。 p67