吾輩は芥川賞を全部読む。

読んだ本の書籍レビューが主です。作家になりたい大学生。来年から働きます。

第123回 芥川賞『きれぎれ』 ネタバレ

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 吾輩は妄想をするのである。今日は、そんな現実と空想の境目が「きれぎれ」な小説、

町田康の『きれぎれ』について書こうと思う。

 

 

 

『きれぎれ』

 第123回、平成12年/2000年上半期の芥川賞町田康の『きれぎれ』と松浦寿輝の『花腐し』が受賞した。

 今回は、そのうちの町田康『きれぎれ』について解説、ネタバレしていきたい。

 

 

きれ‐ぎれ【切れ切れ】

1 細かくいくつにも切れていること。また、そのさま。「切れ切れな(の)雲」「切れ切れな(の)記憶」

 

 

 

 

 

 1.作者について

作者は町田康である。なんでも高校時代から町田町蔵という名義でパンクバンドをやっていたそうだ。ほかに有名な小説だと、映画化もされた『パンク侍、切られて候』などがある。

 

 


パンク侍、斬られて候 (角川文庫)

 

  作者はイケメンだ。INU名義でバンド活動していたため、今でもYouTubeで歌っている動画などを見つけることができる。

 

 

 2.作品について

『きれぎれ』は町田康の小説では三度目の芥川賞候補だ。吾輩の考えすぎかもしれないが、なんだか芥川賞候補は三回目で受賞ということが多い気がする。

 令和初の芥川賞、今村夏子さんも三回目での受賞だし、その前の『ニムロッド』で受賞した上田 岳弘さんも三回目の候補で受賞した。ついでに言うなら、村上春樹は二回候補に挙がったけど受賞しなかった。

 今度、候補作の回数と受賞の関係も調べてブログでかいてみたいのう。

 さて、『きれぎれ』であるが、これがなかなかキテレツな小説である。

 妄想と現実が「きれぎれ」に入れ替わり、その流れに乗るかのような、まるで音楽のリリックのような文体が流れていく。

 もし普通のエンタメ的な本にばかり読みなれていると、さっぱり意味が分からないかもしれぬ。吾輩は思うのだが、意味をとらえるところと、頭の中に映像を流して楽しむところ、その両方が「きれぎれ」に配置されている本作は、楽しんで読むのに一定の読書経験は必要だ。

 

 

 

 3.あらすじ※ネタバレ含む

絵描きの「俺」の趣味はランパブ通い。ある日のランパブの帰り、具合の悪くなった北田を抱えてタクシーを待っていたけれど、待てども待てどもうまい具合にタクシーが捕まらないから、俺は腹が立ち家に帰ってしまった。

 そしたら、北田が死んだとの報。北田が死んだのは自分のせいではないのに、なんだか葬式で気詰まりになって、ランパブにいって妻と出会う。

 俺は良家の長男であって、金を借りようと母に会いに行くと、前借と引き換えに、見合いに行くよう言われた。

 俺は見合いに行ったが、相手の新田富子という女はブサイクだったら、「やはり鰻はこうやってちゅるちゅる吸って食うのが一番うまいですね」などとふざけて、見合いをぶち壊してやった。

 そうして後日、知り合いの吉原という画家の個展に行ってみると、思いのほか絵がいい。うまく言えないのだが「いい」のである、と俺は感じる。さらに吉原はテレビのコメディアンなんぞと話している。新進気鋭、注目の画家であった。そして、友人の木崎から吉原が結婚したと伝えられる。

 新田富子と。

 その翌週、俺は今の妻である「サトエ」と結婚した。

 三か月後、果たして俺の部屋はひどく散らかっていた。サトエはうまくものを片すということができないからだ。

 久しぶりに母のところへ金を借りに行くと、九代目の叔父さんがいて、母の店をつぶさざるを得ないだろうとかなんとか話している。

 吉原が記者に囲まれていた。ゴルマル賞のセレモニーであった。そこで俺は、吉原の奥さんが美人だ、とみんなが口々に行っているのを聞く。

 新田富子は、あのような美人な女だったか、と俺は不思議に思うが、来ている着物には見覚えがあった。

 そして、簡易携帯電話に通知がある。

「お母さんがなくなりました」

 吉原がテレビに出ているのを、俺も見ていた。そして今や自分とは天と地になったこの状況でも、俺は絵をかければ吉原と逆転できると夢想する。

 吉原と逆転して、富子の愛を得られると。

 俺は絵をかくための、絵の具の金を無心しようと友を訪ねる。

 けれども、友はあいにく俺に貸す金なんてなさそうだから、俺は仕方なく吉原に金を借りることにする。自分が弱いふりをして、金を借りて逆転するのだ、とたくらむ。

 吉原からは金を借りれて、おまけにハムももらえたけれども俺は、ひどい屈辱を浴びせられた。

 ものすごい爆音で目を覚ますと、俺は空港のはずれに倒れていた。のどが渇く。観覧車が見える。

 隣の妻のサトエが俺のつぶやきに反応してペットボトルのお茶を渡してくれる。

 二人で吉原の個展に向かう。

 俺は思う。外見上、俺はうまく歩けているのだ、と。青空は、きれぎれになって腐敗していて。

 

 4.   まとめ

 妄想と現実が切れ切れに変わり、ついていくのが困難な小説である。

 吾輩もこうしてネタバレをかいたが、おそらく魅力の十分の一も伝えられていない。

 ぜひ、一読をお勧めする次第なのである。

 

 

 

新潮新人賞受賞作『尾を喰う蛇』 長めのネタバレ

新潮新人賞受賞作『尾を喰う蛇』について、長め(約2000字)のネタバレを掲載します。

短めと、ツナ缶の雑感はこちら→

www.tunacanprotein.work

 

優秀な文学作品はどれもそうですが、こうして要約したところで救上げるものよりも、ボロボロと零れ落ちるものの方が多いですね。

是非、新潮を手に取ってよんでいただきたいです!

 

 

 

 

 1.作者について

 作者は中西智佐乃さん。同志社大学の文学部を卒業して現在は会社員をされているとのことです。朝ドラ「芋たこなんきん」を見たお母さんに、大阪の文学学校https://www.osaka-bungaku.or.jp/

へ入学を進められて、書き上げた二作目がこの『尾を喰う蛇』だったそうです。

 

2.作品について

 作者の中西さんがインタビューで述べられているように「仕方なかった」という言葉が随所に出てきます。戦争の暴力は、そして現代の弱者に降りかかる暴力は「仕方ない」ものなのか。

 実は、三月締め切りの純文学の賞の中で、一番「現代性」があった作品もこちらのように思われます。 詳しくはこちら→(https://www.tunacanprotein.work/entry/2019/10/25/223745

 

 

 

3.ネタバレ

 

 主人公の興毅は介護士として病院に勤めている。仕事は辛く、身勝手に休みを取りたいと主張するパートのおばさんたちにも腹を立てる。たまの休日には一人でラーメンをくい、別れた彼女、京子のことを思い出す。ただ職場には水野という若い介護士がおり、その子のことは気になっていた。

 ある日悲鳴が聞こえて駆けつけると、その水野がある病室からあとずさりして出ていくのが見えた。その病室は興毅が89とあだ名をつけた老人がいる病室で、89は暴れるし、介護士の言うことは聞かないしで問題児であった。そして水野は、その89という老人から慢性的に体を触られていた。

 興毅が89の面倒を見ることになった。89の同室には北口という老人もいたが、北口は優しい老人であった。ただ彼の左足には小指と薬指がなかった。満州で失ったのだという。興毅は北口の「満州で」という言葉にも「でたよ満州。」と嫌悪感を表す。まるでそこで自分が生き残ったことを偉いと誇示されているような気がするからだ。

 ただ北口は奇妙な夢を見るのだという。それは尾を喰う蛇が出てくる夢で、その夢にうなされることがあるのだという。

ある時、暴れだした89を力で押さえつけてから、興毅は周りを力で支配することに快感を感じるようになる。それと同時に戦争にも興味がわいてきて、頻繁に戦争の画像を検索するようになる。

 手取りは少なくても、興毅は毎月実家に四万円を送っている。実家には妹夫婦が暮らしており、妹の夫の稼ぎは少なく、貧乏らしい。そんな中、母から電話がかかってきて妹が二人目を妊娠したから、お金が欲しいという。興毅は六万送ってやる。

陽平という昔の職場の同僚から呼び出されて、彼が京子と結婚することを知らされた。そして京子を奪った陽平のことが、家庭から夫を奪ったという、人のよい老人の片岡に重なる。

 北口という老人の勧めもあり興毅が実家に帰ると、娘と母がファミリーレストランから帰ってきたところだった。

 金を送っているはずなのに、妹からは一言の礼もなく、ファミレスで無駄にごはんを残してきたことを聞いて、興毅は母がお金を送っていることを、妹には言ってないのではないか、と疑う。

 職場では、水野が二連休を取りたいのだと言っていたが、パートたちがそれを非難していた。興毅は身勝手なパートたちにも、取ると言い張れない水野にも苛立ちを感じる。

 結局、水野は二連休を取った。

 興毅はパートたちを威圧して押さえつけるようになり、そのこと自体を当然だと思い始める。

 水野が二連休から帰ってくると、お土産がスタッフの人数分以上あったが、興毅が食べることはなかった。誰かが二つ以上食べて、それを卑しいな、と興毅は思う。その時に、興毅は水野に彼氏がいることを聞く。水野の体を見て、やってきたのか、と興毅は思う。

 そんな折、母から電話がかかってくる。内容は妹が流産した、というものであった。珍しくない、と興毅は思う。自分の働いている病院でもよくあることだと。しかし、妹にはおること思わなかった、と思っていると、妹は流産したのは興毅のせいだ、と泣いていると母が告げる。そして出産祝い金の六万を返すともいわれる。興毅はでは毎月の四万はどうなのか、と腹立たしく思い、実家暮らしで甘えている妹に腹を立て、妹ばかりを認めて、自分の状況を見てくれない母にもいら立つ。

 89を押さえつけるための暴力は日に日に増していき、そんな折に水野が辞めることも聞く。そして興毅は、ますます戦争の画像を検索するようになり、戦争の画像を見ていると落ち着きを感じるようにまでなる。

そんな中、興毅は自分の暴力がばれそうになれ、嘘をつく。

 ある夜勤の日に、89の病室からうめき声が聞こえてくる。89のベッドを囲んだカーテンが震えていて、どうしました、と声をかけても収まらないからカーテンをめくった。

 その光景を見て、興毅はあとずさりする。中では、89がベッドの上で三角座りをしており、そして北口がベッドの横で立てひざをして、額を89の足の甲につけていた。

「もう少し、もう少しや」と89は言う。北口は怖い、怖いとつぶやいている。

「敵は全滅する。もう少しの辛抱や」と89は言った。

ソ連兵は来ない?」と北口が問う。

 あまりの光景にぼうっと立っていた興毅に、「そんなところにおったらあかんっ!」と89が吠えた。

 興毅は自分のせいか? と自問する。俺が力を加えたせいで、89たちはこんなにもおかしくなってしまったのだろかと。

 興毅は北口に詰め寄る

「北口さん、しっかりしてください! 北口さん!」

「蛇だ」と北口は言う。

「蛇はその後どうなるんや」

「尾を食べ続けるんだよ。その蛇は尾を食べながら生きていくことしかできないから……」

 北口と89は別の病院に送られる。

 一人の老人の退院を見送った後で、興毅は仕事に取り掛かる。シーツを取り換える作業をしながら、いつものサイトを、戦争の画像を見ようと思うのだった。

 

 


新潮 2019年 11 月号 [雑誌]

 

 

 

池袋ハロウィンコスプレフェスが全然楽しくなかったという話。

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結論ファーストで書きます。

①  池袋ハロウィンコスプレフェスはガチ勢が多いから、ふらっといってもそんなに楽しめない。

 

②  コミケみたいにえっちいお姉さんはそんなにいない。

 

③  上記①、②から、コミケの方が全然楽しい。

 

以上でゲス。

 

 

 吾輩は一人である。恋人はいない。

 今日、休日なのだが何をしたらよいのか見当がつかぬ。なんでも世間はハロウィンということで盛り上がっているらしい。吾輩はここで初めてグーグル検索をかけてみた。そこで池袋ハロウィンコスプレフェスなるものが、この週末に開催されることを知り、暇すぎて池袋まで片道約一時間弱の列車に乗ることを決意したのである。

 池袋はカップルとコスプレイヤーしかいないのであった。それにしてもカップルが多く、吾輩は一人、街をふらふらと歩いていたら、南池袋公園に差し掛かった。

 

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 上記のように、南池袋公園コスプレイヤーと疲れたカメコ、そして老若男女入り乱れるカオス状況であった。おっぱいをぷりぷりとだした髪のピンクな若い女の横を、見向きもせずに子供たちが駆けずり回っていたよ。

 そうして吾輩は会場の近くへ行ったんだ。

 もうすごい人だった。すごく混んでた。コスプレイヤーってこんなにいるんだってくらいこんでた。会場の公園は、コスプレイヤーの数のほうが、全然普通の人より多かった。

 コスプレイヤー:普通の人=9:1くらいだった。

 

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 でも非常に残念なことに、コミケで見たような可愛くて、少しえっちぃお姉さんは見当たらなかったよ。みんながっつり仮装していた。肌を露出している人が少なかった。

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肌の露出が少ないんだなぁ。

 

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やっぱり肌は出てないんだなぁ。

 

 だから吾輩は、コスプレイヤーが普通に出入りしているサンシャインシティを少し歩いて、蒙古タンメンを喰って帰った。

 蒙古タンメンはうまいなぁ。

 でもお店で喰うよりもカップラーメンのほうが美味いんだ。実は。

 セブンイレブン限定販売だけどなぁ。

 


蒙古タンメン中本 辛旨味噌タンメン 118g 3個セット

 

 

新潮新人賞受賞作『尾を喰う蛇』 ネタばれ 雑感

 

 新潮新人賞受賞作、『尾を喰う蛇』を読みました。

 やっぱり文学賞はそれぞれのカラーが出ますね。今年の三月締め切りの文学賞は、それが如実にでたと思います。

 ポップで若い『文藝』、ユニークな作品が多い『すばる文学賞』、そして文章が濃密で、暗い話が多いイメージな『新潮』

 だいたい受賞作もこんな感じでした。完全に独断と偏見ですが。

 

 

〈2~3分でわかるネタバレ〉

 主人公の興毅は介護士として病院に勤めている。仕事は辛く、身勝手なパートのおばさんたちにも腹を立てる。たまの休日には一人でラーメンをくい、別れた彼女、京子のことを思い出す。

 水野という若い介護士は、89と興毅があだ名をつけた老人から慢性的に体を触られていた。興毅が89をみるようになり、水野にも少し色欲を感じる。ある時89を力で押さえつけてから、興毅は周りを力で支配することに快感を感じるようになる。それと同時に戦争にも興味が出てきて、調べるようになる。

 興毅は実家に金を送っている。実家には妹夫婦が暮らしており、妹の夫の稼ぎは少なく、貧乏らしい。母から電話がかかってきて妹が二人目を妊娠したから、お金が欲しいという。興毅は六万送ってやる。

 陽平という昔の職場の同僚から呼び出されて、彼が京子と結婚することを知らされた。そして京子を奪った陽平のことが、家庭から夫を奪ったという、人のよい老人の片岡に重なる。

 介護している老人の勧めもあり興毅が実家に帰ると、娘と母がファミリーレストランから帰ってきたところだった。

 金を送っているはずの興毅に一言の礼もなく、働く気もない妹に興毅は怒鳴ってしまう。

 そして興毅は、のちに妹が流産し、興毅のせいだと妹が言っていることを母からの電話できく。

 暴力は徐々に増していき、水野が辞めることも聞く。そんな折に、興毅は自分の暴力がばれそうになれ、嘘をつくのだった。

 

 

 


新潮 2019年 11 月号 [雑誌]

 

 

 

 

〈雑感〉

 介護小説って純文学で結構ありますが、この小説の新しいところはそこに「戦争」と「暴力」という要素を組み込んだところですね。

 そしてこの小説、何と言いましょうか、今回の三月締め切りの新人賞の候補作の中で、一番「現代性」のようなものが感じられます。

 今年、令和元年はどうしてだか、いわゆるロスジェネ世代のおじさんが起こす犯罪が取り上げられました。「川崎市登戸通り魔事件」や「京都アニメーション放火事件」が代表的ですね。

 そこでは今まで日本社会がないがしろにしてきた彼らの身勝手な主張が、暴力で叫ばれてしまったときの、理不尽な復讐の姿がありました。

 そのような「川崎市登戸通り魔事件」や「京都アニメーション放火事件」の加害者の裏にあるであろう生活の苦境や、身勝手な怒りを追体験といえるほどリアルな描写が、この小説のひとつの売りです。

 もしこの小説が広く読まれるようになれば、そうした事件に対する見方を少し違ってくるのではないかと思います。

 

 

 これは本当に余談なので読み飛ばしてもらって構わないのですが、私は茨城県の田舎の中学校から、田舎の私立高校、そして慶應義塾大学へ進学しました。

 だから、といいますか、社会のヒエラルキーといいますか、周りの人たちの(同級生たちの)親の世代収入、そして社会的地位が中学→高校→大学と徐々に上がってきたんですね。

 で思ったのですが、慶應にいる人って、やっぱりみんな育ちがいいし、中高一貫の人も少なくない。

 公立の中学校に通っている人が、そういえばゼミの同期(10人いる)に一人もいなくて愕然としたのを今思いだしました。

 で、そういう、慶應にいる育ちのいい坊ちゃんって、たぶん公立中学の環境の悪さとか、いじめとか、中学二年の時に同級生が子を孕んでしまったとか、そういう環境を知らないで大人になっていくわけですよね。

 もちろん知っている人もいますが(少数派ですが)そういった環境を知らずに、ずっと中高大慶應で、育ちのいい人って、今回の『尾を喰う蛇』の主人公のような人を知らないし、知ろうともしない人が大半です。それよりも、なぜか世界の貧困に目を向けます。

 『尾を喰う蛇』はそういう「育ちのいい人」に読んでほしい本です。(読まんだろうけど……)

 

巨乳とウロボロス~新潮新人賞受賞作『尾を喰う蛇』を読んでほしいという話~

吾輩は巨乳である。カップ数はまだ知らない。

いつから巨乳と呼ばれるようになったかとんと見当がつかぬ。

なんでもベンチプレスなるものをえっちらほっちら四年も続けていたことだけは記憶している。

120キロを持ち上げられるようになって初めて巨乳と呼ばれるようになった。しかも後で聞くと、私の乳首はたいそうきれいだったそうだ。(男に言われた)

その男というのは時々、別の男とデートしているということであった。

しかしその当時は何という考もなかったから特別恐ろしいとも思わなかった……

 

どうもツナ缶プロテインです。

巨乳が問題になっているみたいですね。

告白しますと、私は巨乳です。

そして、私は男です。男で巨乳なんて、得あるの? とか思われがちですが、割にあります。

まず、女の子で男の巨乳が好きな子(大胸筋)が好きな子。これ一定の割合でいますね。

そして、男で男の巨乳が好きな子。(巨乳な男の子が好きな子)これも一定数いますね。私はどちらも経験があります。

 

閑話休題

さて表題に戻りますが、巨乳のポスターが問題になっているそうで。

でも、こういう問題ですごく既視感があるし、前にも見たことがあるような気がします。

これはセクハラである。とか、いやセクハラじゃないっていう揚げ足取りの、水かけ論。

日本ていう国は、何か人々の注目を集めるために、アイキャッチャーとして女性を使うってことはずっとしてきているので、今回だけフォーカスするのは……と思ったりもします。

今回はたまたま、セクシュアルの濃度が、イカ臭いにおいがしてきそうなアニメの絵柄だったから問題になっているだけで、広告に女を使うという点だけで言えば、〇坂や〇〇坂が出ている広告とかと変わらないと思うのですが、どうなんでしょうか……?

結局、目を引くために女性が使われている。

ちなみに、留学していた時、ももいろクローバーがすごい勢いがあったのですが、彼女らの年齢を知ったフランス人がこれぞ軽蔑、という目で見ていました。

JK(やそれより幼い女の子)をコンテンツとして堂々と消費する大義名分としてアイドルという文化を作った国である以上、まぁ今後もおんなじ話は出てきそうな気がしますよね。

この国の男、大人が慣れてますから、女性の性としての一面をお金に還元する手法に。

 

それと、関係するようで関係ない。いややっぱ少し関係あるかもしれない。

 

 


新潮 2019年 11 月号 [雑誌]

 

そんな小説が新潮新人賞受賞作『尾を喰う蛇』です。

ウロボロスという題をつけられたこの小説は、タイトルであり、モチーフであり、深層的なテーマとして人間が同じところをぐるぐる回っているということの象徴でもあります。

 

そして『尾を喰う蛇』という小説の極めて優れているところは、主人公の置かれた状況、孤独が極めて現代的ということです。

令和元年となる今年は、「 川崎市登戸通り魔事件」や「京都アニメーション放火殺人事件」といったいわゆるロスジェネ世代、しかもロスジェネにおいてまともな就職も、生活もできていない成人男性の事件がニュースになりました。

この『尾を喰う蛇』の主人公が感じている、不利な状況、身勝手な孤独、そして独りよがりな怒りは、事件を起こした彼らロスジェネ世代の感じている感情そのものでもあります。

その感情の描き方は、きわめてリアルです。

読者にもよるでしょうが、これは今実際にある、ほかのだれかの現実なのであり、そして現実が時としてこれほど冷たく残酷であり得るということを、心の芯まで寒さが伝わるような丁寧な筆到で描き出します。

例えばこの『尾を喰う蛇』をより多くの(特に慶応に通っているような、恵まれた)若者が読めば、「 川崎市登戸通り魔事件」や「京都アニメーション放火殺人事件」のような事件に対する理解や、世間の見解もいくらかは変わってくるのかもしれません。

 

残念ながら、それらはunfulfilled wish…でしょうが。

なぜなら若者たりは、より分かりやすく、より面白いコンテンツを消費するのに忙しいでしょうから……

 

別にそれが悪いことだとはいいません。若く、そして楽しいということは人生で最も喜ばしいことの一つだと思います。

 

それでも、たまに『尾を喰う蛇』のような本を読む時間が、自分とは全く別の、しかし同じ国に育った紛れもない個人の一生の欠片を覗く時間が、人生にあってもいいと思うのです。

 

 

村上春樹と模倣

群像新人賞に送る原稿の推敲をしているが、あまりにも自分の望む水準に筆力が達していなくて愕然としている。

ここで一つ解説を加えると、群像新人賞とは、純文学の新人賞の一つで、過去にはW村上を輩出したことでも有名である。

その村上のデビュー作、ジャズ喫茶を経営する傍ら、深夜に執筆し、いきなり群像新人賞を獲得したのが『風の歌を聴け』である。

 

風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)

 

 この作品も含めた、『1973年のピンボール』や『羊をめぐる冒険』はのちの作品には見られない、感性あふれる筆づかいが魅力の作品。

物語世界を理論づけて構築するというよりも、どちらかといえば、感性の移り変わりは離散的なひらめきがぎりぎりのところで成り立っている印象を受ける。

 

しかしながら、先日Twitterでこんな画像を見つけた。

 

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村上春樹の『風の歌を聴け』が群像新人賞を取った時の、丸谷才一の選評だそうだ。

驚くべきことに、実際にこの村上春樹は日本文学の趣向を大きく変えることになる。

村上春樹以後の日本文学は、彼を介してアメリカ文学の空気を十分に吸って、そしてよりカラフルなものへと変容していった。(という印象を個人的に受ける。)

 

で、今回村上春樹のことを調べていたら、こんなことも見つけた。

 

Naomi Matsuokaの論文において、村上のデビュー作である『風の歌をきけ』がレイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』のストーリーを換骨奪胎した上に成り立つことを指摘され、それを村上が認めている事実も指摘している。

(『長いお別れ』についてのネタバレはこちら https://www.tunacanprotein.work/entry/2019/10/02/021623      )

 

デビュー作が換骨奪胎って、日本の作家にしては結構興味深い。でも確かに、村上春樹の模倣については、芥川賞の選評でも指摘されている。

実際に村上のデビュー作『風の歌をきけ』は芥川賞候補になり、受賞を逃したが、審査員の一人であった丸谷才一は「アメリカ小説の影響を受けながら自分の個性を示さうとしてゐます。」という言葉を残している。

 

彼のデビュー二作目にあたる、『1973年のピンボール』も芥川賞にノミネートされたが、その際は大江健三郎も村上作品におけるアメリカ文学の表象に言及している。

 

「前作につなげて、カート・ヴォネガットの直接の、またスコット・フィッツジェラルドの間接の、影響・模倣が見られる。しかし他から受けたものをこれだけ自分の道具として使いこなせるということは、それはもう明らかな才能というほかにないであろう。」

 

 (http://prizesworld.com/akutagawa/kogun/kogun81MH.htm

 

今後、群像新人賞に応募しようとする人、いや新人賞に応募する人は古典の換骨奪胎を試してみてもいいのではないか。

まぁ、ためしに自分がやってみるか。

 

1973年のピンボール (講談社文庫)

1973年のピンボール (講談社文庫)

 

 

 

羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)

羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)

 

 

塾講師という選択~おまけ~ 本当は誰も愛なんか求めてない。  

 

 

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塾講師としてのデメリットもう一つ思いついたので追記。

 

〈結局ルーティンワークになる〉

これはどういうことかといいますと、例えば中学生だったら中学生、高校生でも高校生と、まぁ毎年毎年生徒が入れ替わるんですよね。つまり一年目はまだしも、二年目、三年目ともなると、常に同じことやっているっていう状況になります。

もちろんこれのいい面もあって、それは毎年授業の質が洗練されていくということ。まぁ毎年同じこと繰り返しやってりゃあ、そりゃね。

あといい面としては、楽ということも挙げられますね。

要するに一年目は予習とか授業準備で時間とられますけど、(友達の講師の方は、予習が仕事と言っておられました)

二年目から、それらを管理しておけば、そんなに時間がとられないので、わりに楽です。授業に対する負担は減っていきます。

 

 

まぁ、デメリットとしては以前のブログにもあげましたように()

「ちゃんとした社会経験」がつめないことなんですよね。

要するに同じところをぐるぐる回っているだけで、しかもそれがガキ相手だから、転職では基本的に、「ちゃんとした社会経験」とみなされないと。

学習塾勤務で転職希望だと、データベースにわりに実績を詳細に書いたりしている人いるんですよ。

「○○教室で志望校合格率80%以上、生徒集客前年度120% 五年連続達成」とか

残念ながら、あまり評価の対象になってません。

とくに「MICEビジネスを中心に法人営業、インバウンド営業、海外営業等を通してPlaying Manager(営業推進部長)として新規市場顧客獲得を含め営業活動貢献実績がございます。」みたいなことを書いている候補者と比べると特に。

企業が好むのは圧倒的に後者です、、、

 

 

また、「これって塾講師のデメリットだな」と思うことがあったら勝手に書きます。まぁ、多分書ききれないほどありますが。

 

ほんであとはおまけ。

最近の若い子(中学生とか)見ていると、わたしたちの時代とは本当にいろいろ変わったなーと思う。

とくにユーチューバー。

中学生は本当に彼らユーチューバーを尊敬している。みんな、いっぱい知ってる。

私が高校生のときのAKB48を思い出す。みんな、大体メンバー全員知ってたよね。

そんな感じでたぶん、今の中学生に聞いたら20人くらいはユーチューバー答えられるんじゃないか、多分。

ほんで、まぁ……すごく先生にもよるが、塾講師の先生はそんなに尊敬されない。これは四年やってきて、むしろ昔の方が尊敬されたと思う。

たまに、彼らのために夜を徹して予習したり、声が枯れるまで授業準備しても、彼らは画面の向こうでアホみたいなことやっている若造にキャー(≧∇≦)とか言ったりする。

ほんで一生懸命が空回りしちゃう講師が嫌われたりする。

自分が嫌われるのもつらいが、同い年くらいの大人が嫌われているのを見るのも辛い。

別に、嫌われたい人なんかいない。

みんな、大人たちは宿題なんかどうでもいい。どうでもいいけど、かわいい生徒のために、親御さんはかわいい子のために、身銭を切って子供に投資している。

けれども、彼らはそんな親や講師の先生よりも、画面の向こうのちょっと顔の整った兄ちゃん姉ちゃんにご執心だ。

私がやりきれなくなるのはそういう時だし、塾講師という仕事に就きたくないと強く思ったのもそういう時だ。

 

結局、人って一番近くにある愛情をないがしろにしちゃう人が多い。(私もそうなので、ある種の次回として)

 

今日は世間では休日だ。

でも私は塾へ授業へ行ってくる。

 

もっと塾講師の闇を知りたい方はこちら。

 

塾講師にだまされるな!

塾講師にだまされるな!